2004年に中越地震があり、大学の同級生で卒業後新潟に帰り教師をしていた友人が、自宅は無事だったが勤めていた高校が被災したことをメールで伝えて来ました。その時、カウンセラー3級の資格を取ったばかりで、まだ何もしていないかった私でしたが、被災地へ心のケアのボランティアに行こうと思い立ちました。松本NHKのカウンセラー養成講座でそのことを伝えると、同じクラスの中から他に3人が一緒に行くと言ってくれました。そのことを松本先生が長野市の講座でお話しくださり、そこの受講生の中から、4人ずつの2チームがボランティアに行こうと名乗り出て、1チーム3泊4日ずつ3つのチームが連続して12日間、小千谷市で心のケアのボランティアをすることになりました。現地では2人1組となり、避難所となっているいくつかの体育館や集会所の中、テントの人たち、また街の中の声掛けを希望しているご家庭などでお話を聞きました。
被災した方々は、少しずつ当時のことを話してくれましたが、「もっと辛い思いをしている方がいらっしゃると思うけれど、・・・」と、皆さん被害の大きかった人のことを気遣いながら、自分の話をしてくださいました。同じ体育館の中で、家族を亡くした方も、地域の役割を果たしながら、気持ちを奮い起こし暮らしている姿を見ると、自分など愚痴を言ってはいけないと言う気持ちになるようでした。私が被災者ではなく、長野県から心のケアのボランティアで来ていると名乗ると、遠慮なく泣き事が言えたようでした。
家族が皆無事であっても、家屋が1部損壊程度であったとしても、その人の人生の中では、最も恐ろしい経験だったと思います。だから被災したこの地域すべての人が、実は心のケアが必要なのだと感じました。
2人組になって、私の車で別の会場へ移動している途中、道を尋ねるため、庭先で地震で出た廃棄物を分別処理している男性に声をかけました。「私たちは、長野県から来たボランティアです。道を教えてください。」男性は道を教えてくれた後、「毎日毎日大事だったもの、使えなくなってしまったもの、そういうのを捨てる仕事をしてんのさ。やる気なんか起きねえよ。あんたら時間あるかい?」私たちが「はい。」と答えると「じゃあちょっと家、見てってくれや。」と風呂場に案内されました。この方は地震が起きた時、ちょうど風呂から上がり、まだ服も着てない状態だったそうです。家の浴槽は地震で大きく揺れ、風呂場の壁を破り、外の10メートルほど下の畑に落ちたままになっていました。「俺がもし、あと1〜2分余分に風呂に沈んでたなら、一緒にあっちへ落ちてたとこさ。」「よかったですね。お風呂から出た後で、、」と、思わず返答しました。「こっちも見てくれや。」と応接間に案内されました。「これはな、俺が昔から螺旋階段に憧れてて自分で作ったんだ。」と応接間から2階へ続く螺旋階段を見せてくれました。しかし2階との接続部分は地震で大きく外れていました。「かっこいい階段ですね。プロの仕事のようですよ。」「そうだろう。自慢だったんだ。俺はタバコ農家してるから、JTの買い付けの人が、俺の名前なんか忘れても螺旋階段の家って呼んでたのさ。でもすっかりずれちゃったからもうすぐ外すのさ。最後にあんたらに見てもらえてよかったな。・・・ 今日、俺はあの震災以来こんな爽やかな気持ちになれたのは初めてだ。偶然あんたらに会えて、話聞いてもらって、元気が出てきたさ。」
と言って、私たちを次の会場へ送り出してくれました。私たちもこんなに率直に、元気が出た。と言ってもらえて、自分たちが役に立てたことを喜びました。













